大会の歴史

 1953年(昭和28年)全国マラソン連盟は、各方面の協賛を得て我が国最強のメンバー(篠崎 清選手、山田敬蔵選手、広島庫夫選手、浜村秀雄選手、西田勝雄選手の5名)を率い、4月20日に開催された第57回ボストンマラソン大会に出場した。

 この大会で、大館市(旧大館町)出身の山田敬蔵選手は、世界の強豪レ・アンダーソン選手(スウェーデン)、カルヴォーネン選手(フィンランド)等をハートブレーキングヒル(心臓破りの丘)と呼ばれる難所で一気に引き離し、2時間20分代を世界で初めて切る2時間18分51秒の世界記録を樹立し優勝を果たした。(左の写真はこの時のゴール時のもの)

 この喜びを機会に、大館男子国民学校の級友たちが後援会を組織し、大館市教育委員会と共催で、山田選手を追い越すようなランナーが育つよう祈念し、その年に第1回大会を開催したのが本大会のはじまりである。

 第1回大会は、大館駅前をスタートし、国道103号をひた走り比内町(現大館市))のはずれを折り返し、大館市役所前をゴールとする20kmコースで盛大に開催された。

 その後は、大会は規模の拡大、道路事情の変化等により現在のコースに変更されている。

山田敬蔵さんプロフィール

昭和 2年11月  大館町(現大館市)字新地にて出生

昭和17年 6月  満豪開拓青少年義勇軍として渡満

昭和21年 6月  帰国

昭和25年 4月  同和鉱業株式会社花岡鉱業所入所

昭和27年 4月  ヘルシンキオリンピック大会出場 マラソン26位

昭和28年 4月  第57回ボストンマラソン優勝

昭和29年 1月  山田敬三蔵さんをモデルにした「心臓破りの丘」が映画化

昭和37年 4月  藤田観光株式会社入社

昭和63年 3月  藤田観光株式会社退社

昭和63年10月  岡田タイヤ工業株式会社入社

平成 6年 3月  岡田タイヤ工業株式会社退社

平成 6年 6月  松下徽章株式会社マラソンクラブ顧問

平成 8年 7月  日本グランドゴルフ協会会長

平成13年 4月  大館市名誉市民章受章

平成19年 1月  前人未踏 35万km走破 

ニプロハチ公ドームには山田敬蔵さんに関する貴重な資料も飾られています。